永遠に生きるかのように学べ

読書、読書、キャンプ。

悪意をぶつけられることがダメージとなる。言葉そのものではない。

 

最近、気づいたことがあります。



僕はあまり、自分が傷ついたとか感じないほうなのですが、
この一年で二回ほど、言葉によりダメージをうけたことがあります。
2日くらい引きずるくらいで、まあ回復するんですが。

なんであの二回だけ、あんなに引きずったのかな〜、と考えて気がついた。
言葉そのものの表現より、そこに込められてる悪意。
それによって僕はダメージを受ける。

言葉がどんなに酷くても、ダメージを受けないことは多々ある。
逆に、言葉はさほどじゃなくても、ダメージになることもある。

「バカ」と言われても、全然こたえない。
だけど、例えば「お前は俺を騙そうとしている」とか言われると、悲しくなる。
そんなつもりあるわけないのに、
何故そんなこと言うかな、って。

伝えようと頑張って喋ったときほど、その反動でダメージは大きい。

多分、相手だって分かってる。
僕が騙す意図なんてないことを。
それでもそう言うのは、
その言葉を使えば、僕がダメージを受けるだろうと計算しているからじゃないかな。

つまり、言葉どおりの内容を伝えたいわけじゃなく、
僕にダメージを与えたいだけ。
悪意をぶつけたいだけなのだ。

それを無意識に嗅ぎとって、僕は深くダメージを受ける。
純粋に悪意をぶつけようとする人間がいるなんて、
どこかで信じられない甘ちゃんには、ひどく効く。
性善説を捨てれば、傷つかずに済むんだろうけど。


性善説って楽なんだよね。
変な腹の探り合いにエネルギー使わなくていいから、コミュニケーションの質も上がるし。
あんまり理解されないけど。

世の中全部、性善説になればいいのに。
成熟した社会で生産性を上げようと思ったら、もうそういうとこしかないと思うんだよね。

仕方ないんですかねえ。