書評 考察・意見

「誤読を推奨」は乱暴だけど、実はあながち間違っていない

こんな記事を読みました。
「著者の真意」なんて気にせず、どんどん「誤読」しよう : まだ東京で消耗してるの?
いかにもな煽り記事だけど、
このアイデアは、曲がった解釈で広まってしまうには
あまりにもったいないので言及。
言いたい事の本質は良いことなのに
イケダハヤト氏っちゅうのは、なぜこういう味付けを
してしまうのでしょうねえ。
まあそれが彼の彼たる所以なのでしょうが。

「誤読を推奨」とはどういうことか

さて、松岡正剛

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/04/08
  • メディア: 新書
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  • この本にかいてあることで一番すごい点。
    それは

    読書とは相互乗り入れの作業である

    ということ。

    読者は一方的に受ける立場ではない。
    読みながらさまざまなことを考える。
    いわば自分で本を作っているようなもの。
    という主張だと、僕は解釈しました。

    それはコミュニケーションにも言えること。
    このブログを読んでいるあなたは、
    この文字が示すとおりの意味を受け取っているわけではない。
    意味を解釈した上で、自分なりの受け取り方をしている。
    その「自分なりに受け取る」のところがコミュニケーションなんだ、ということ。

    受け手の解釈を許容しないのであればそれは、
    信号とか、命令。
    論文なんかもその類に入るでしょうね。

    もう5年くらい前にCasaブルータスという雑誌に載ってた
    フィリップ・スタルク(クリエイター)の言葉。

    愛と創造を別にすれば、読書は人間にとって
    最も知的なアクティビティだ

    ここにも、ただのインプットじゃないんだぜっていうニュアンスを感じます。

    読書というのは、一方的な受信作業ではないということなんですね。
    これかなり大事ですよ、ほんと。

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