こんな記事を読みました。
「著者の真意」なんて気にせず、どんどん「誤読」しよう : まだ東京で消耗してるの?
いかにもな煽り記事だけど、
このアイデアは、曲がった解釈で広まってしまうには
あまりにもったいないので言及。
言いたい事の本質は良いことなのに
イケダハヤト氏っちゅうのは、なぜこういう味付けを
してしまうのでしょうねえ。
まあそれが彼の彼たる所以なのでしょうが。
「誤読を推奨」とはどういうことか
さて、松岡正剛
読書、読書、キャンプ。
こんな記事を読みました。
「著者の真意」なんて気にせず、どんどん「誤読」しよう : まだ東京で消耗してるの?
いかにもな煽り記事だけど、
このアイデアは、曲がった解釈で広まってしまうには
あまりにもったいないので言及。
言いたい事の本質は良いことなのに
イケダハヤト氏っちゅうのは、なぜこういう味付けを
してしまうのでしょうねえ。
まあそれが彼の彼たる所以なのでしょうが。
さて、松岡正剛
この本にかいてあることで一番すごい点。
それは
読書とは相互乗り入れの作業である
ということ。
読者は一方的に受ける立場ではない。
読みながらさまざまなことを考える。
いわば自分で本を作っているようなもの。
という主張だと、僕は解釈しました。
それはコミュニケーションにも言えること。
このブログを読んでいるあなたは、
この文字が示すとおりの意味を受け取っているわけではない。
意味を解釈した上で、自分なりの受け取り方をしている。
その「自分なりに受け取る」のところがコミュニケーションなんだ、ということ。
受け手の解釈を許容しないのであればそれは、
信号とか、命令。
論文なんかもその類に入るでしょうね。
もう5年くらい前にCasaブルータスという雑誌に載ってた
フィリップ・スタルク(クリエイター)の言葉。
愛と創造を別にすれば、読書は人間にとって
最も知的なアクティビティだ
ここにも、ただのインプットじゃないんだぜっていうニュアンスを感じます。
読書というのは、一方的な受信作業ではないということなんですね。
これかなり大事ですよ、ほんと。