書評

ウェアラブルコンピュータという言葉は十年前とは全く違う文脈で再登場した。〜ウェアラブルは何を変えるのか〜

この本、読みました。

ウェアラブルコンピューターの波が来ているのか。
ウェアラブルなんて、もう十年近く前に一度ブームになりかけて
しぼんで行ったものなのに。
僕の中ではMDのように「スタンダードになれなかった技術」みたいなイメージでいたのに。

昔のウェアラブルを少し使っていた者として、
そんなところが引っかかり、ウェアラブルと言えば、「身につけられるほど十分に小さいパソコン」だった。
ヘッドマウントディスプレイに、ウエストポーチ大の本体。

つまりは、「パソコンを持ち歩ければいろいろできて便利でしょ」という発想。
「モバイル」と厳密には大差ない。

それを使って何ができるか、みんな懸命に考えてた。
つまり必要に駆られたわけではない。
だからあまり普及しなかったんだろう。決定的な使い道は生まれなかったし。

ところが現代。

十年前とは違って様々なITインフラが整った。
WiFi。
家庭でもブロードバンドに無線LAN。無線でのやり取りが当然になった。

つまり。

「全部入り」である必要がなくなった。
これがウェアラブルであること」本来の意味、つまり身につける必然性が問われることになった。

身につける必要のあるコンピューターって何だ。
身につけなくていいなら、スマホでいいじゃん。

そういう考え方を得られるのが、本書を読んで一番良かったこと。
その視点を持てれば、あとはすべてがスーッと理解できる。

本の中味としては佐々木氏の著書らしく、
過去、現在、未来
背景、環境
という全体の文脈から解説されているため、
なぜ今ウェアラブルなのか、がすごく理解し易くなっている。
僕のように「十年前と何が違うんだ」というとらえかたじゃなくても。

もちろん、主題の「なぜ今ウェアラブルなのか」という点以外でも
今後ウェアラブルが向かう方向性などが示されており面白い。
技術動向ではなく、「身につける必然性」から考察するという軸がぶれてないので
これまた腑に落ちる。

個人的には、
環境が勝手に情報をやりとりして人間に最終的なアウトプットだけ渡す、
という
アンビエントインテリジェンス なる概念の話が面白かった。
Internet of Thingsがかなり現実味を帯びている今、さほど飛躍した話ではないが
ここで思い出したのはフランシスコヴァレラのオートポイエーシスという考え方。

まだぼんやりと、だけど、
これがつながるとかなり面白いことになる気がしている。

そんなわけでこのウェアラブル本、なかなかお勧めです。

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