久しぶりに大前研一氏の本を読んだら、自分の子育てについていろいろと考え直すことになりました。
大前研一 2018年の世界?2時間でつかむ経済・政治・ビジネス、今年の論点?(大前研一ビジネスジャーナル特別号) (大前研一books(NextPublishing))
- 出版社/メーカー: good.book
- 発売日: 2018/01/26
- メディア: Kindle版
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どういう本なのか
世界全体を見て、2017年はどんな動きがあったか。2018年はどういう方向へ行くのか。そんなことが書いてあります。「大前研一ビジネスジャーナル」ということで、がっつりしたビジネス本じゃなく、雑誌に近いノリでさらさらっと読める。でもやっぱりとても勉強になります。ただ残念なことに、自分は大前氏の知識・情報に対して疑問をもてるほどじゃないので、いつも「へー、そうなのか」で終わってしまい、レビューすら書けません。大前氏はよくこう言います。「(ビジネス)本を読むときは、内容を鵜呑みにするのではなく、著者の主張に疑問を呈しながら読め。著者と知的スパーリング(ボクシングのあれね)するようなもの。そうすると思考力が鍛えられる。」それが、できないんですよねぇ。
読んだら子育てが気になった
いつもなら、読んで何となく知識と考え方を仕入れておく、くらいになるわけですが、今回はここが引っかかりました。
(要約)世の中は日本を取り残してどんどん変わっていってる。中国なんて特に、コンピューターサイエンスをはじめ、日本のはるか先へ行っている。こういう世界で生き残るために日本は、尖った人材を育てていかねばならない。それを何十年も前から言ってきたけど、さすがにもう間に合わない。国単位で「没落しないように人を育てる」ことはもう、間に合わないから、みんな個人で生き残れるようやっていきましょう。
というあたり。普通はこれ読むのビジネスマンだから、「じゃあ自分や自分の会社が生き残るためには、どういうトレーニングをしていくべきか」という読み方をするわけです。でも僕は、「自分の子供をどう育てるべきか」という方向に考えてしまった。
昔の子育てをしてないか?
子育て、特に子供の教育をしていてよく感じるのは「自分たちが育てられたのと同じ育て方じゃダメなのに、それが分かってない」ということです。僕も、僕の妻も。
「40年前のやり方で子育てしてます」って言えば、ほとんどの人が「お前アホじゃないの?」って応えるでしょう?でもいざ自分の子になると、“自分が親からされてたのと同じことをしてしまう”んですね。子供への接し方で言えば、算数の問題を間違えた時。他の子と同じように団体行動がとれない時。などなど。学習で言えば、“自分もやってたから”公文をやらせる人、“みんながやってるから”進研ゼミをやらせる人。それに英語とプログラミングを加えたくらいで、現代に合わせた教育してるつもりでいる。こころあたり、ありませんか?
尖った人材を育てなきゃならないのに、皆と同じことやってて良いんかな…。
とは思うけど、どうすりゃいいんだ。
習い事は諸刃の剣
まずは、教育について”親が勉強すること”ですよね。
子供の成長は、ひとそれぞれ。同じ学年の子と同じようにできなくても、じっくり待つ。子供を信じて、待つことができるかどうか。最近の教育論ではそう言われてますが、これを知って、実践できるか。“自分たちが育てられたやり方”でやってる人、つまり、最近の教育について勉強しない人には、できないでしょうね。勉強してる人でさえ、実践するの、かなり難しいんだから。
そういう“伸びるまで待つ”スタンスを持ったうえで、尖った人材をどう育てるか。これも難しい問題です。
今までの、“ある水準の人を大量生産する”やり方はわかる。でも尖った人材を育てる方法は分からない。どうすりゃいいんだ。
仕方ないから、自分で考えさせようかな、と思っています。ただ、道具だけは与えよう、と。どんな道具がいいか分からないけど、
- 考える力
- 行動力
- コミュニケーション
くらいかな。
少なくとも、サッカーとか野球、そろばん、習字。そういうものではない。もちろん、習い事がダメと言いたいのではないです。何を鍛えるために習わせるか、を忘れないようにすることが大事。例えば「根性と体力だけあって、先生や監督の言うことをひたすら実行する」人間を育ててしまう可能性も多いわけです。指導者によっては、ね。スポーツ習わせるのはとても良いことだけど、考える力が骨抜きにされないよう、気をつけたい。
尖った人材の育て方は分からないけど、昔のやり方に流されないよう、意識したいですねぇ。