書評 考察・意見

「誤読を推奨」は乱暴だけど、実はあながち間違っていない

2013年3月30日

こんな記事を読みました。
「著者の真意」なんて気にせず、どんどん「誤読」しよう : まだ東京で消耗してるの?
いかにも煽り記事だけど、このアイデアは、曲がった解釈で広まってしまうにはあまりにもったいないので言及。
言いたい事の本質は良いことなのに、イケダハヤト氏っちゅうのは、なぜこういう味付けをしてしまうのでしょうねえ。
まあそれが彼の彼たる所以なのでしょうが。

イケダハヤト氏が、とかいうと冷笑を受けてしまうわけですが、松岡正剛氏なども、この本で、近いことを言っているわけです。

この本にかいてあることで一番すごい点。
それは

読書とは相互乗り入れの作業である

ということ。

読者は一方的に受ける立場ではない。
読みながらさまざまなことを考える。
いわば自分で本を作っているようなもの。
という主張だと、僕は解釈しました。

それはコミュニケーションにも言えること。
このブログを読んでいるあなたは、この文字が示すとおりの意味を受け取っているわけではない。
意味を解釈した上で、自分なりの受け取り方をしている。
その「自分なりに受け取る」のところがコミュニケーションなんだ、ということ。

受け手の解釈を許容しないのであればそれは、信号とか、命令。
論文なんかもその類に入るでしょうね。

もう5年くらい前にCasaブルータスという雑誌に載ってた
フィリップ・スタルク(クリエイター)の言葉。

愛と創造を別にすれば、読書は人間にとって
最も知的なアクティビティだ

ここにも、ただのインプットじゃないんだぜっていうニュアンスを感じます。

読書というのは、一方的な受信作業ではないということなんですね。
これかなり大事ですよ、ほんと。

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