考察・意見

新聞にも、ネット上の言説にも惑わされない考えかた

こんなニュースがありましたね。

スマホ利用が原因であるかのような、
新聞のミスリードだ、といった論が多く見られました。
実はヘッドホンしてたんじゃないの?とかね。
(実際はスマホじゃないみたいですが)

確かに新聞は、事実だけ書いていながら、携帯を原因と決めつけるような書きっぷりではある。
しかも各紙似たようなニュアンス。
そういう主張が出てくるのもわかる。

けど、一番大事なのはそこか?

ここで、事故にあったのが自分だったら?と考えてみる。

仮にガラケーでメール打ちながら歩いていたとして、
いやいや、さらにスマホ見ながら音楽聴いて歩いてたと仮定しても、
あなたなら、下りてる踏切のバーから、隙間をワザワザ通って踏切内に入ります?

僕なら絶対しませんよ、そんなん。というか、できない。
電車が来るのに気づかないほど携帯に集中しつつ、遮断機の隙間を探して入るなんて。
ほとんどの人はそうでしょう?
なぜ事故にあった方だけがそういうことする人だと決めつけちゃうの?

(本当は決めつけじゃなくて、思考停止ですけどね)

そう考えると、僕らにはすぐ想像つかないような要因
あるいは報道されていることのどこかにおかしい点があって、
それが事故の真因だってことになる。

それが何なのか。
このニュースで一番肝心な所はそこでしょう。

携帯のせいと決めつけるのはおかしいんじゃないの、というところまでは良い視点だけど
なんで携帯のせいにするんだよ、なんて、どーーでもいい。
もはや事故の話題じゃなくなってる。

もちろん、いろんな見方をする人がいていいし、それがネットの良い所ではある。
でも、どーでもいい視点は少数で多様なところがいいのであって、
一種類のどーでもいい視点を多数が支持してしまったら、建設的にはならない。

新聞の情報は、「普通に考えておかしく」ないか。
ネットの情報は、新聞のカウンターである事自体が最重要になってないか。

意識しておきたい視点です。

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