考察・意見

人工知能できないことのひとつ。ツボを押す事。

ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話*ホームページを作る人のネタ帳
を読んで。
(ずいぶん前の記事ですがなぜか最近話題になってて知りました)
興味を持つツボとコンピューターやネットの限界について考えた。

その人が何に興味を持つか、それはぶつけてみないとわからない。
昨日までなんとも思わなかった曲が、
ふとカーラジオから流れて来て
そのときの心理状態にぴったりはまって忘れられなくなる。
それは例えばAmazonのお勧め技術じゃ、絶対にわからないこと。

昨日聞いた、こんな話を思い出した。
コンピューターのもととなった、チューリングマシンについての話。

「ある計算プログラムがちゃんと答えを算出して停まるか、
 延々と計算し続けるかは、計算させてみないとわからない」

計算する前に計算結果がわかってたら、それは神の領域。
コンピューターだって、やってみなきゃわからないんだ。
普段、冷たく機械的、ととらえがちなコンピューターも、
なんだけっこう人間らしいところあるやん、って思えて微笑ましかった。

うん、やってみなきゃわからないんだ。

昨日、たまたまTVで能を見た。
今まで能なんて全く興味なかったのに、TVつけた瞬間
「そもそも能には夢幻能と現在能とありまして…」
って話に引き込まれて思わず見続けた。

僕にとっては、夢幻能と現在能の話がツボだったわけだ。

そう。どこにツボがあるかなんて誰にもわからない。
そして、自分の知らないツボを刺激される事は、
きっとネットより現実のが圧倒的に多いんだろう。

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