書評 考察・意見

巨大な仕組みの中で、正しい判断力を保つことはできるのか。われらはみな、アイヒマンの息子 レビュー

ずっと気になっていたこの本を、読みました。絶版なんです。

きっかけは、伊坂幸太郎「モダンタイムス」。小説の中に出てくる本ですが、実在しています。そこで関心を持ったのですが、新品は絶版、中古は一万円という状況。そんな中、図書館で偶然見つけました。

読んでみたら…難しかった。難しいけど、言いたいことの半分くらいは、なんとなく分かる。という感じ。

どういう本か

ナチスドイツでユダヤ人虐殺の指揮を執ったという、アドルフ・アイヒマン。彼は裁判で、無罪を主張したと言います。いわく「自分は命令に従っただけだ」。ここだけ聞くと、むちゃくちゃな言い逃れに聞こえますが、実際、本心からその通りだったらしいです。内面に残虐性を持つわけでもなく、ユダヤ人を憎んでいたわけでもない。そのあたりは他の本に詳しいですが、本当に命令だからやっただけらしい。まじか。

この本は、哲学者ギュンターアンダースから、そのアイヒマンの息子への公開書簡です。

ここまでの話と、本のタイトルから、カンの良い人は推測するでしょう。「なるほど、アイヒマン本人が悪いんじゃなく、仕組みが悪かったということか。だから僕らもアイヒマンになっていたとしてもおかしくない、という本なのかな」と。

それは半分あたっていて、半分外れています。

著者は言うわけです。「人はものすごい巨悪に当たると、自分の感覚でとらえきれない。だから何百万人の虐殺なんてことができてしまう。しかし、とらえようとすることを放棄してはいけない。放棄した先には、アイヒマンと同じ運命が待っている」と。(かなり私の解釈が入ってます)

つまり同じことが起こりうる、というわけです。同じこととは...ホロコーストじゃないにしても、「大がかりなおかしい仕組み」に対し、ブレーキを効かせられないこと。仕組みの結末が、異常なことになると分かっていても、やってしまうこと。

僕らに関係ないようである話

アイヒマンを、ひとつの歴史の話、と捉えるのでは、「自分はそんなひどいことするわけない」で終わってしまうのですが...歴史の話じゃなく、著者は現代への警告をしているわけです。

アイヒマンを仕組みの産物と見るのではなく、思考停止の産物と見る。加えて、世の中がますます経済合理性や仕組み化、便利化、自動化へ突き進んで行く大きな流れ。環境破壊。個人情報を対価に提供される無料サービス。こういうものを考えあわせると、「大がかりなおかしい仕組み」がすでに動いていて、僕らがそれに加担している可能性だって想像できますよね。僕らはそれに、どう接するのか。実はこの点が、著者が最も言いたかったこと。

いきなり僕ら自身の話になってきました。

 

アドルフ・アイヒマン自身は、やってしまったのだから、もう取り返しがつかない。しかし、アイヒマンの息子はまだ、父アドルフを肯定することも、否定することもできる。まだその選択肢はある。どちらを選ぶのか。

ホロコーストを、いま動き始めているかもしれない「大がかりなおかしい仕組み」に置き換えれば、僕らにも言えること。まだ、選択肢がある。

だから「われらはみな、アイヒマンの息子」なのです。

あなたは、どういう選択肢を選びますか。

他人に尋ねておいてズルいけど、僕には、まだ選択肢自体が見えていない。しかし問題意識だけでも持っておいたら、大事なところで間違わずに済むんじゃないか。

この本、おすすめです。いま見たら、絶版なのは変わらないけど、中古価格が3000円くらいに下がってますね。良かった良かった。

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