書評 考察・意見

国境なき医師団は、特別な人の集まりじゃないし、救われる側が自分であってもおかしくない。国境なき医師団を見に行く レビュー

いやあ、久しぶりに”魂が揺さぶられる”本に出会いました。

どんな本か

簡単に言えば、いとうせいこう氏が「国境なき医師団」の活動地へ飛び、取材をするというものです。ルポルタージュっていうのかな。
ただ、そこはいとうせいこう氏らしくというか、エッセイ的な要素も強いです。
つまり、現地で何が起きてどういう活動をしているか、という話はもちろんしっかり書いてあるんだけど、常にひとつの目線がある。

救う側も、救われる側も、特別ではない。
救う彼らが私たち(日本人)であったかもしれないし、救われる側も私たちであったとしてもおかしくない。たまたま、彼らは彼らで、私たちは私たちであっただけ。

という目線です。
たまたま、いつ、どこに生まれたかというだけの違いで、これだけ過酷な目に遭うのか。
日本だって、数十年前はバラックに住んだり、衛生環境が良くない人が多くいたわけで。

ただ、私が書いた上の文章を読んでも、皆様ピンと来ないと思います。時代や場所が違えば、なんて今までだって聞いたことがあるし、僕だって今までピンときたことはなかった。
だけどこの本を読むと、それが実感として理解できる。

それはたぶん、いとう氏がひとりひとりの人間にフォーカスしているからだと思う。
国境なき医師団の誰だれさんは、どんなきっかけで団体に入り、どんな活動をしているのか。何が好きで、どんなしゃべり方をするのか。
難民の誰だれさんは、もとはどんな仕事をしていて、難民キャンプに来るまでどのような経験をして、これからどうしたいのか。
そういう話が、活動内容に織り交ぜて語られる。
救う側に対しても、救われる側に対しても、敬意と冷静さを湛えた、美しい文章で。

ぜひ、読んでみてほしい。
救う側が崇高な使命感を持った聖人であったり、救われる側が遠くの国で悲惨な目に遭うかわいそうな人たち、という話じゃなくて、どちらも僕らの隣人であるかのような感覚が持てます。

無関係ではないけれど、すべての問題に関係できるわけでもない

で、そういう感覚をもてると何がいいのか。
もちろん、より正確に世界のことを知る、という面はあるけど、結局なんか関わろうという気がしてくるんですよね。

そういうことを言うと、必ず偽善とか「それよりこっちの問題に」とかいう人が出てくるもんです。
いや、僕ごときに言う人は実際いませんが、「その問題よりこっちの問題に」というのは、正直気にしなくていいと思っています。みんながそれぞれ、気になる問題に関わればいいんですよ。それでこそ様々な問題が取り組まれるわけで、多様性の為せるところですね。

こういう話をしていると、伊坂幸太郎の「砂漠」という小説を思い出します。
その中に出てくる西嶋という登場人物が、言うわけです。

「たとえばね、手負いの鹿が目の前にいるとしますよね。脚折れてるんですよ。で、腹を空かせたチーターが現れますよね。襲われそうですよね。」

みなさんなら、どうしますか?
西嶋は「助けちまえばいいんですよ」と主張します。細かいこと考えたってどっちが正しいかはわからない。だったら目の前の鹿を助けりゃいいだろう、と。

なんかこれに近いものを感じるんです。もちろん国境なき医師団は、「現地が自律するまでの支援」がミッションですから、手を出すところ出さないところがある。でも、世界のどこを優先的に救ってどこは後にして、なんてのは、西嶋的な考え方でやりゃあいいって話です。

そんなわけで、とりあえず私は、メルカリの「かんたん寄付設定」を国境なき医師団にしようかなと考えています。
知らないうちに引き落とされてる、よりは、意識的に寄付するのが良いですが、とりあえずね。

なんにしてもこの本、おすすめです。面白いし、グッときます。

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